2012年



ーー−1/3−ーー 雪舞う初詣


 地元の有明山神社へ、初詣に行った。

 名前の通り、有明山をご神体と仰ぐ神社である。

 大きな神社ではないが、山の麓の森の中にあり、幽玄な趣を宿している。

 都会の神社の正月は、参拝者が参道を埋め尽くすような光景も見られるが、この神社は静かで寂しいくらいだ。

 以前はそれに違和感を感じたものだが、今ではもう慣れた。いや、むしろこの静かさが、心地良い。

 年間を通じて、私はよくこの神社を訪れる。そのたびに、拝殿に上って手を合わせ、家内安全などを祈る。今年もいろいろお願いする事があるだろう。

 家ではただの曇り空だったのに、神社に着くと雪がサラサラと降っていた。山里の社は、清涼な気配に満ちていた。




ーーー1/10−−− 七輪ライフ



 昨年の暮、友人の木工家BM氏が、七輪を持ってきた。これをやるから使ってみろと。

 その二週間ほど前に会った時、能登旅行の話になった。珠洲市という地名を口にすると、「七輪は買ってきたか」と言う。かの地は七輪が特産品で、特に珪藻土から切り出して作る七輪は全国唯一とのこと。私が、「うちは七輪を使う習慣が無い」と答えると、氏は「それじゃいかん」という顔をした。

 氏がくれたのは、特別なものではなく、ホームセンターで買ったという七輪。それに、ガス台で着火するときに使う火起こし器、予備のロストル(壊れやすいものらしい)、焼き網、さらに自宅で作った消し炭を加えて、セットにして持ってきた。使い方のアドバイスも、いろいろ頂いた。

 その晩、早速火を入れてみた。我が家は薪ストーブを使っているので、オキはいつでもある。それを七輪に入れるだけだから、簡単だ。ところが、新品の七輪は、加熱すると臭いが出た。それがたまらず、屋外に出した。

 日を改めて、また使ってみた。家の中には七輪に適した食材がなかったので、家内が干し魚やスルメを買ってきた。それらを炙って食べようとしたのだが、やはり少し嫌な臭いが出た。それでまた、外に出した。しかし臭いのトラブルはその時までで、以降は室内で使えるようになった。

 当初は、不慣れなため、あまり有用な代物とも思えなかった七輪だったが、使ううちにだんだん良さが分かってきた。この正月には大活躍をした。煮物をしたり、餅を焼いたりするのに、とても便利なのである。

 先に述べたように、ストーブで燃えているオキを移せば、直ぐに使える。わざわざガス台で着火する必要は無い。火力の調整は、下の方についている空気孔を開け閉めする。入れるオキの量を加減すれば、火が強すぎて困ることは無い。もともと強烈な炎で、短時間に加熱する道具ではない。マイルドでスローな調理器具なのである。

 焼肉もやってみた。これは部屋の中が煙だらけになった。BM氏によれば、七輪の焼肉は、夏場に屋外でやるのが良いと。ストーブを焚かない季節は、炭への着火が面倒だが、火起こし器を使えばできる。その際は、消し炭が燃えやすくて良いそうだ。氏は、自宅の暖炉で出来たオキを、火消し壺に入れて消し炭を作り、常備している。

 私は遊び半分で楽しんでいるが、家内は主婦の感覚としてとても便利だと言う。鍋をコトコト煮るときなど、ガス台なら一口を占領されてしまうが、七輪が代わりになってくれれば助かると。また、餅焼きなど、台所から離れた場所で、手分けしてできるのも具合が良い。

 ちなみに、我が家のストーブは甲板の内側に断熱板が張ってあるタイプなので、煮炊きには向いてない。鍋ややかんを乗せても、なかなか温まらないのだ。そういうストーブと併用すると、七輪の利点が生きてくる。

 燃焼道具として安全なのも良い。オキが燃え尽きれば自然に消える。ガスや電気のように、エネルギー源を遮断しない限り延々と発熱が続くものではない。仮に鍋がふきこぼれても、火が消えるだけである。薪ストーブでも同じだが、こまめに燃料を継ぎ足さなければならない道具は、面倒ではあるが、燃料を消費し過ぎることがなく、放っておけば火が消えるという安全性もあるのだ。

 余談だが、原子炉などというものは、燃焼を止めることが出来ないコンロのようなものだ。必用が無くなっても、ずうっと水で冷やし続けなければならない。その冷却が止まれば、あっという間に暴走を起こす。コンロに例えたが、規模は数十万キロワットの怪物である。しかも、暴走の果ての被害は熱エネルギーに留まらない。数十年、場合によっては数万年単位で環境を汚染する放射能をまき散らすのだ。 

 薪は燃えて煙を出すから、室内でそのまま焚くのは具合が悪い。しかし、炭になれば、煙は出ず、空気は汚れない。火鉢もそうだが、七輪も、炭を直に燃やす道具である。直火だから熱効率が良い。炭を燃やして暖を取る文化が外国にあるかどうかは知らないが、これらの道具はまことに優れた一面を持っていると思う。

 七輪ライフもいいものだ。












ーーー1/17−−− 犠牲となったデジカメ


 一月三日は、昼食時に酒を飲み、そのままダラダラ飲み続け、夕方になって工房へ入った。

 酒を飲んだら仕事はしないと決めている。仕事の区切り上、夕食後に工房へ戻ることもあるが、その場合は飲酒は控えめにし(飲まない事はない)、機械や刃物を使う作業は行わない。ペーパーがけや塗装といった、安全な作業に限定している。

 駆け出しの頃は、酒を飲んでも普通に作業をしていた。ある晩、ノミで加工をしていて手が滑り、ノミが空を舞った。体にピッタリしていたTシャツの腹の部分が切れて、下の肌が見えた。その時以来、飲酒作業はきっぱりと止めた。

 今回は、魔が射したのであろう。飲酒は度を過ぎると、正常な思慮が無くなり、大胆な行動に出る。飲酒運転も、そのような傾向があるらしい。少しだけ飲んだときは、これくらいなら大丈夫と思う。ある程度酔うと、危ないから止めようという気が起きる。さらに度が過ぎると、何でも出来る気になってハンドルを握る。念のため申し添えると、私は飲酒運転をしたことはないし、この先もしないと決めている。

 工房に入ると、無頓着に作業をした。機械も使ったし、刃物も手にした。作業の詳細は覚えていないから、かなり酔っていたのだろう。突然、三脚に取り付けてあったデジカメが落下した。板張りの床に落ちたので、比較的衝撃は少なかったと思う。しかし、動作チェックをしたら、正常に動かず、撮影不能になった。

 電子回路のトラブルでは無く、ボディの歪みなどの物理的原因だと思われた。衝撃を加えれば治るかと、プラスチックハンマーで叩いたり、逆向きにわざと落としたりした。この行動からも、かなり酔っていたことが分かる。もちろん、治らなかった。あれこれデジカメをいじっているうちに気分がシラけ、作業は打ち切って工房を出た。床に落ちただけで作動不能になるデジカメの脆弱さに腹が立った。その日のブログには、さんざん悪口を書いた。

 翌日になって考え直した。ひょっとしたら、あのデジカメは私が飲酒作業で怪我をするのを防ぐために、自ら身を投げて犠牲になったのではないかと。そう思うと、愛用のデジカメのけなげさに心を打たれ、そこまで彼を追いこんでしまった自分の愚行に、ほとほと嫌気がさした。

 ところで、私にとってデジカメは、毎日の必需品である。無ければ、ブログの更新に差し支える。そこで、壊れた日の晩に、ネットで同型品の中古を探し、注文した。これは正解だったと思う。デジカメの性能は日々向上しているから、最新型であるほどコストパフォーマンスが良いと言われている。しかし、使っていた機種に満足していたのだから、新しい機種を買う必要は無い。用途はほぼ限定されているから、新しい機能も必要ない。逆に同じ機種ならば、慣れているからすぐに使える。バッテリーやメモリーカードなども同じものが使える。届いた品物は、取扱説明書が無く、パソコンに接続するケーブルも入っていなかった。それでも問題は無い。すでに持っていたからである。

 画像は新旧二つのデジカメ。このシーンは、別のデジカメで撮影した。そのデジカメは、昨年の春まで使っていた物だが、どうも写りが良くなく、そして決定的な事には、乾電池式でその消費量が異常に多かった。不快な思いをして使い続けていたところに、息子が使っていたもの(この画像の黒いほう)が回ってきたと言う次第。考えて見れば、新旧どちらも新品ではなかったのだ。




ーーー1/24−−− がっかりしたワイン


 先日、御殿場の富士霊園へ墓参りに行った。行きは中央高速道を大月で曲り、東富士五湖有料道路を経由した。甲府の外れで高速を降り、御坂トンネル越えで富士吉田に入る手もあるのだが、今回は出発時間が少々遅かったので、高速道をフル活用した。

 真冬の霊園は、人影も無く寂しかった。墓前に花を供え、父の好物だったビールをかけ、持参したラジカセで旧制松本高校の寮歌を流した。荒涼とした景色の中で、その音楽が妙にドラマチックな雰囲気を演出した。垂れこめた雲の向こうから、時折りドーンという大砲の音がした。

 帰路は一般道を走った。これが毎度の楽しみである。高速よりも一般道の方が、走っていて楽しい。行く先々の土地柄を、身近に感じられる気がする。気に入った場所で停められるのも良い。

 ルートはいくつかあるが、今回は山中湖から精進湖へ回り、峠を越えて甲府に入り、国道20号を諏訪方面に向かった。甲府市内はいささか煩わしいが、抜けてしまえば快適なドライブとなる。夕暮れの南アルプスや八ヶ岳を眺めながら走った。

 途中の休憩施設で、地物のワインを購入した。墓参の旅の帰りには、四合瓶程度の酒を買い求め、自宅に戻ってから慰労をするのが、例年の事になっている。いつもは清酒だが、今回はたまたま目にしたワインに引かれた。

 陽が暮れて、山間が闇に沈むころ、高速道に乗る。今回は諏訪南から入った。そして一路安曇野へ。諏訪湖の夜景が綺麗だった。

 帰宅して、ワインを開けた。善行の日をしめくくる一杯は、格別の味になると思いきや、意外につまらなかった。味が薄くて、香りも乏しい、さえないワインだった。同じ店に並んでいた清酒にすれば良かったと、後悔した。

 清酒なら、とりあえず純米酒を買えば、そんなに外れはない。まともに作られた酒なら、どれでもそこそこ美味しく頂ける。その点、ワインにはガイドラインが無い。今回のようにブドウの品種を選んでも、それがワインの品質に直結するわけでは無い。価格は概して高めだがそれも当てにならない。安くて美味いものもあるし、高くて不味いものもある。

 父は大の酒好きであった。色々な酒を、片っ端から飲んでしまう男だった。しかし、ワインはあまり飲まなかったようである。ワインを飲んで上機嫌になっているところは、見た事が無い。草葉の陰で、「やっちまったな」と笑っているかも知れない。





ーーー1/31−−− 中国の卓球


 
卓球の全日本選手権をテレビで観た。女子は、福原愛ちゃんが念願の初優勝を果たした。男子は新鋭の高校生が、6連覇を目指したチャンピオンを破るという波乱があった。

 次女が小学生の頃、卓球をやっていたので、私は今でも卓球に関心がある。全日本選手権は、毎年必ず観ている。トーナメント表を見ると、10年ほど前に娘が対戦した相手の名前をいくつか発見する。中には、ベスト16以内に入っている選手もいる。そういうのも、ささやかな楽しみである。

 テニスもそうらしいが、卓球も技術の進歩が目覚ましい。私が子供の頃見た卓球とは、まるで違うスポーツのように感じるくらいである。今回優勝した高校生も、素晴らしいテクニックの持ち主だった。私はそのプレーを見て、中国人選手の卓球を連想した。

 世界の卓球のトップに君臨しているのは、中国である。北京オリンピックでは、男子も女子も、表彰台に上がったのは全て中国人選手であった。中国の天下は、ここ30年ほど続いている。あまりに中国が強いので、一時期ヨーロッパでは、世界レベルを目指す選手が少なくなったという話もある。とうてい勝てないから、やってもつまらないというムードが蔓延したとか。

 何故これほど中国が強いのか。専門家がいろいろ分析をしていると思うが、私は娘に付き合って卓球を調べるうちに、自分なりに一つの見解に達した。それは、良く工夫をするということである。彼らは、とにかく良く工夫をするのである。

 ここであまり技術的な細かいことを述べても、意味が無いとは思う。一例だけ紹介するなら、並行足でのドライブというのがある。それまでの日本選手のドライブは、足を前後に開いて、フォアハンドだけで打つものだった。それだと、バック側に来たボールの処理が難しい。フットワークでカバーするしかない。中国は、台にぴったりと着いて、速いタイミングで返球することを考案した。フットワークが頼みの卓球は、そのプレースタイルの前に翻弄された。

 台に接近して戦うには、自らもスピードが要求されるので、フォアだけでは凌げない。フォアとバックを対等に使う、両ハンドが求められる。両ハンドで戦うには、前後足では具合が悪い。反対側にボールが来たときに、切り替えなければならないからだ。そこで、台のエンドラインに平行して足を構えることになる。この並行足の構えは、横移動だけで台の全面をカバーできるので、速攻タイプの戦いに有利である。ただし、バックスピンのボールをドライブで返球しようとしたとき、体の横でボールをとらえなければならないので、難しくなる。

 そこで中国選手は、並行足のままドライブをかける技を考案する。体を捻じるようにしてバックスイングを取り、体の横で巻き込むようにしてボールをとらえるのである。日本の指導者なら、「無理だからやめておけ」、「そんなのは基本から外れている」などと言って否定したようなアイデアである。しかし、それをマスターし、武器にして活躍する選手が現れた。世界選手権で2度優勝し、日本に帰化してから全日本選手権で、6連覇を含む8度の優勝を果たした小山ちれ選手も、この技を使っていた。

 練習方法も工夫する。、多球練習というものを考え出した。従来の練習は、一つのボールを打ち合うラリーが主流だった。一打一打を大切にする、一球入魂のラリーである。それに対して中国は、たくさんのボールを使って、トレーナーが立て続けに球出しをする練習方法を考案した。この方法だと、スピードも球種も自由に変えられるので、反応を高めるのに有効である。また、トレーナーの技量が選手より低くても(トップレベルならば当然そうだが)練習効果が上げられる。いちいちボールを拾いに行く手間も省ける。総じてたいへん効率の良い練習法である。世界の卓球関係者が集まったシンポジウムで、この練習法がスライドで紹介されたシーンを見たことがあるが、一同の驚いた表情が印象的だった。

 さらに小さなところでは、こんな話もある。卓球の大会に行くと、始まる前の会場で練習をするのが一般的である。一つの台に二組が付いて、対角線上で打ち合うことが多い。台の数に比べて選手の方がはるかに多いから、列を作って順番を待ち、ミスしたら交替ということになる。中国選手は、同じ台の他のペアがミスをすると、即座にクロスからストレートに打ち変えると聞いた事が有る。交替が入るまでのほんの一瞬でも、チャンスを利用して別コースを打つ練習をするのである。

 とにかく頭を使い、知恵を出すというのが、彼らのやり方のように思われる。ペングリップのラケットの裏にラバーを張り、その面でドライブをかけることも考案した。その裏面からサービスを出すという、手品のようなこともやる。投げ上げサーブと言って、サービスのときにボールを高く投げ上げることも考案した。これは、ボールの落下速度を利用して、より多くの回転がかかるようにする工夫である。

 用具についても、粒高ラバーというものを作り出した。このラバーで返球されると、ボールが不規則に変化して、とても打ちづらい。ヨーロッパでは、トップレベルの選手が、中国選手の粒高ラバーの前に初心者のような負け方をするので、卓球競技の威信にかかわるとまで言われたそうである。

 枚挙にいとまが無いが、とにかく工夫をする。まるで面白がって、あるいはこれみよがしのようにして、新しい事を考え出す。しかし、新しい技術を発案しても、実現するのは簡単ではない。やってみたものの、アイデア倒れになる可能性もある。無駄を覚悟で取り組むチャレンジ精神が必要とされるのである。

  かの国は、卓球人口が多いので、新しい事にチャレンジする気風があるのかも知れない。回りと同じ事をやっていては勝てない。だから新しい事を工夫する。それが上手く行けば上に行けるし、失敗すれば去るしかない。それでも新しい人材はどんどん入ってくるから、全体にとって問題はない。新しいものを許容し、その多様性の中から優れたものを拾い出す。これも一種の人海戦術と言えるだろうか。

 ともあれ、卓球王国と言われ、お家芸と呼ばれた我が国の卓球の、その後の歴史と比べれば、かなりの違いが指摘できるのではあるまいか。日本人選手だって、それぞれ工夫をしている部分はあるだろうが、ここに紹介したようなもの、あっと驚くようなものは、聞いた事が無い。

 もっとも日本でも、黎明期の選手の中には、かなりの知恵者がいたようではある。創業者はチャレンジ精神に満ちていたが、トップに登りつめると保守的になり、権威主義的になるというのは、スポーツに限らない流れか。






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